今年のGWは、これまでと少し違う過ごし方をしています。
以前はどこかに出かけたり、誰かと会ったりして、いわゆる「遊び」に時間を使うことが多かったです。
その分、お金も体力も使う。ただ、その代わりに思い出が残ります。
あとから振り返ったときに「ちゃんと過ごした感覚」がある休日だったと感じています。
一方で今回のGWは、ほとんど家で過ごしています。
遠くへ出かけることもなく、予定も詰めていないです。
いわば「休むこと」に特化した時間になっています。
休むだけの時間の変化
この過ごし方は、忙しかった時期の反動としてはちょうど良かったです。
仕事の疲れもあり、体力を回復させるという意味では機能しています。
お金もほとんどかからないし、余計な移動もないです。
ある意味ではかなり効率的な休日とも言えます。
ただ、数日続けていると少しずつ変化も出てきました。
- 集中力が続かない感覚
- 生活に小さな「区切り」がなくなる感覚
- 気づくと時間が間延びしている感覚
休んでいるはずなのに、完全に満たされているわけではない状態が生まれます。
遊びが持っていた役割
以前の休日を振り返ると、「遊び」には別の機能があったことに気づきました。
それは単なる消費ではなく、時間に区切りをつくる役割です。
外に出ること、人と会うこと、新しい場所に行くことです。
それらはすべて、日常とは違う刺激として記憶に残ります。
結果として、「あの休日はこうだった」と語れる形になります。
休みと遊びのどちらが良いのか
今回のGWを通して感じているのは、どちらが良いかという単純な話ではないということです。
- 休むことは回復になる
- 遊ぶことは体験になる
どちらにも意味があり、どちらか一方だけではバランスが崩れます。
休みだけの時間は静かすぎる。
遊びだけの時間は消耗が大きい。
まだGWは途中であるということ
ただし、今回のGWはまだ終わっていないです。
つまりこれは結論ではなく途中経過です。
ここから先の数日で、少し外に出るかもしれないし、何か新しいことをするかもしれないです。
あるいは引き続き静かに過ごすかもしれないです。
どちらにせよ確かなのは、まだ調整できる余白が残っているということです。
まとめ
今回のGWを通して感じているのは、「休むこと」と「遊ぶこと」は対立ではなく配分の問題だということだ。
そして今の自分にとっての課題は、どちらが正しいかではなく、どう配分するかにあります。
残りのGWは大きな計画を立てるというよりも、
いつもの休日の延長線上でできる範囲の楽しさを拾いながら過ごしていきます。
その中で、少しでも満足度を上げていければ十分だと思っています。


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